日本近代化の証人・石炭産業の礎 世界最大最古のコンクリート造りワインディング式立坑櫓「志免立坑櫓」の保存を!




〜写真で綴る立坑櫓〜

8月の立坑櫓

 

 

子どもの日の立坑櫓

 

 

 

 

志免扇風機口

 

 

 

10月の立坑櫓

 

 

 

5月の立坑櫓

 

 

 

志免町内から臨む立坑櫓

 



立坑櫓内部から

 

 


志免町内から臨む立坑櫓

 

 

志免町役場から臨む立坑櫓



立坑櫓の窓から見た風景

 

 



シーメイトから臨む立坑櫓

 



立坑櫓上層部より

 

2005年8月21日
伝承遺産シンポジウム2005(長崎)にて
事務局長:古庄信一郎氏が寄稿した原稿より

1.志免町の概要と歴史について


 立坑櫓がある志免町は福岡市の東部に位置し福岡空港に隣接している。面積は8.7ku。南北に細長く狭い町で人口は平成16年2月に4万人を超え、人口密度は福岡県内でも2番目、人口密集の町で 福岡市のベットタウン的要素をますます鮮明にしている。

  町の歴史は約2万年前に人が住み始め多くの古墳を有する農村地であった。この志免が飛躍的に発展するのは明治22年以降の海軍採炭所の開坑、石炭採掘が始まってからである。

  当時2千人に満たない農村に電気が灯り、汽車が走り、通信が発達する。志免鉱業所の従業員は一時6千人、年間産炭量50万トンと隆盛を誇り、粕屋郡内第一の炭鉱村として繁栄した。

  因みに大正10年(1921)の九州の人口は、最大都市の長崎市が17.6万人、福岡市が9万人、志免村が1.1万人であった。

 

2.志免鉱業所の歴史について


 海軍が石炭山を有するに至ったのは明治4年(1871)、唐津及び大瀬炭鉱を鹿児島藩から兵部省に献納したことから始まる。明治初期の海軍所管の炭鉱は唐津炭鉱であったが軍艦の進歩により唐津炭が適しなくなりやむなく英国炭を購入していた。しかし英国炭の輸入増は国防上憂慮に堪えないこととなり明治19年(1886)から海軍は全国各地の炭質を調査、翌20年、志免の隣、新原(現須恵町)の新原炭が優れていることを発見し軍艦高千穂に試用したところ英国炭より優れていることが判明。

  明治22年(1889)海軍予備炭山に指定され第一坑が開坑。翌明治23年(1890)には海軍の「新原採炭所」となり(明治33年官制変更により「海軍採炭所」と改称)海軍直営による石炭採掘が開始され明治39年(1906)志免村に第五坑が開坑され第八坑まで開設される。以後終戦まで海軍の採炭所として運営される。敗戦により海軍省が解体され昭和20年(1945)から「運輸省門司鉄道局志免鉱業所」として発足し、昭和24年(1949)運輸省の機構改革で「日本国有鉄道志免鉱業所」となり国鉄の運営となる。

  昭和30年(1955)以降、外国から安い石油、石炭が輸入されエネルギー革命が進み昭和39年(1964)6月全坑閉山し、75年に及ぶ一貫した国営炭鉱の歴史を閉じた。

 日本の三井、三菱、住友といった民間炭鉱と異なり、志免炭鉱は世界的にも珍しい我国唯一、一貫した国営炭鉱であった。


3.志免立坑櫓と立坑について

 

 『鉄筋コンクリート製で、高さ53.6m、長軸15.3m、短軸12.25mのワインディングタワータイプ(塔櫓捲式)。立坑の深度は430m』

  昭和に入ると上層群の炭量が枯渇し、戦局の進展で石炭増産に迫られ、下層群の開発が求められ立坑を開削することとなる。

  『鉄筋コンクリート製で、高さ53.6m、長軸15.3m、短軸12.25mのワインディングタワータイプ(塔櫓捲式)。立坑の深度は430m』

  まず立坑櫓の工事に昭和16年(1941)12月着工し、昭和18年(1943)5月に竣工。その後、昭和20年に430mの立坑が完成する。設計者は第四海軍燃料廠長の猪俣昇氏(九州帝国大学工学士、海軍技術少将)

  当時、志免鉱業所副長を務められ立坑工事にかかわられた浜島毅氏によると、「建築に際し中国撫順で南満州鉄道(株)が昭和11年(1936)に建設した龍鳳採炭所立坑櫓を視察。志免の岩盤の強度を計算し台風や地震に強い櫓とした」とのことで当時の金額で200万円(現在の貨幣価値で40億円程度)が投じられた。戦時下で物資が不足する中、英国製鉄鋼を贅沢に用いた「海軍仕様」と呼ばれ当時「東洋一の立坑」と言われており、民間資本ではなく国営炭鉱だからこそ実現したといえる。今回の福岡沖地震でも何の影響もなくこれこそ浜島氏の言葉や土木学会の評価をうらづけるものである。

 土木学会では近代土木遺産を認定しているがその重要度によってA〜Cにランク付けされている。 現在Aランクは455件(全体の16%)で志免立坑櫓は門司港駅舎や長崎の出島橋と同じく日本に現存する最重要な炭鉱遺産としてAランクに評価されており、平成14年4月には土木学会から志免町長宛に「これは現存する立坑櫓の中で飛びぬけて規模が大きいだけでなく、わが国の鉄筋コンクリート構造学、炭鉱技術史においても優れた近代化遺産として評価されたもので、文部科学省指定の重要文化財に該当する」として保全的活用の要請がなされた。(志免町はこれを無視)
当時この要請にかかわられた岡山大学大学院教授の馬場俊介先生は「もしこれを破壊したとしたら、それは地域の恥というだけでなく世界中の笑いもの」とコメントされている。

 

4.立坑櫓の現況について

 

 立坑櫓と斜坑の用地(8842ku)は昭和42年(1967)国鉄から石炭鉱業合理化事業団に、石炭の研究施設や博物館として利用するとして無償譲渡された。その後、昭和55年(1980)に事業団は新エネルギー総合開発機構となり平成15年(2003)には独立行政法人新エネルギー産業技術総合開発機構(以下NEDO)となり現在はこのNEDOの所有となっている。

 志免町では高度成長時代、前町長や議会の大勢は立坑櫓を解体し志免鉱業所跡地の総合開発を目指していた。その前程に「立坑櫓はNEDOが解体し土地は無償で入手する」ことが志免町の思惑としてあった。その交渉が難航したため、結果幸いなことに立坑櫓は今も現存することとなった。

  また九州産業考古学会を始めとする各学会及びマスコミ報道、そして平成13年から展開している私達の保存活用への行動も町長に解体への決断をさせない要因である。

  昨年、歴史上稀な強大な台風4個が福岡を相次いで襲い、立坑櫓の真下に建設したジョギングロードに櫓のコンクリート片が落下。町は安全対策を強行にNEDOに求めたためNEDOは翌年台風前までに解体する方針を町に提示し町の意向を問われた。町は慌てて決定の延期を要請し交渉の結果、平成 18年3月までに「解体か保存」かの志免町としての結論を回答することとなり現在「見守り保存(費用をかけないで保存)」の可能性について大学関係者に調査を依頼している。

 NEDOは過去から一貫して「立坑櫓と土地は一体で無償譲渡する」としており、立坑櫓をNEDOが解体した場合は、土地は有償となる。現在もその意向であり、私達は結論を急がず、まず立坑櫓と土地を無償で譲り受け、その後、立坑櫓の保存解体の論議を推進すべきと提言しています。解体費用も土地の入手もいずれにも費用がかかる訳です。

 総合福祉施設建設にともない志免鉱業所の外壁、倉庫等が我々の保存要請もむなしく解体され、残存する志免鉱業所の関連遺跡は@立坑櫓 A第八坑連卸坑口 Bボタ山 C志免鉄道公園(志免駅跡)等々となった。また近隣には D海軍炭鉱創業記念碑 E海軍炭鉱創業記念史碑 F第三坑口鏡枠等が残存。  志免町・須恵町それぞれの歴史資料館には扇風機坑口にあった海軍戦闘機のプロペラを利用した扇風機他が保存展示されている。

 

5.立坑櫓の保存活用について

 

 北海道産業考古学会会長・山田大隆先生は「石炭生産は明治2年の長崎県高島炭鉱操業から端を発し生産地が拡大していったが……その中において日本近代史上不朽(日本のエネルギー問題、近代化の原点として)の九州石炭産業史の残照ともいえる唯一の地域記念物(ランドマーク)が志免炭鉱遺産である」と述べられ「エムシャーパーク型炭鉱公園として活用」を。

  また長崎大学大学院教授・後藤恵之輔先生は「志免立坑櫓単独ではなく他の遺産とともに伝承遺産として保存活用に取り組むべき」とそれぞれ提言を頂きました。

  他に九州産業考古学会の木元会長、西日本短期大学・大石教授、土木学会他多くの諸先生方が志免立坑櫓の保存と活用についてご提言を頂いております。

  日本は「ビジットジャパン・キャンペーン」として外国観光客を年間1千万人に増やすとし、九州各県知事は「九州地域戦略会議」を設置、「東アジア観光コンソーシアム」設立や「九州遺産」の創設などを展開。その一環として「九州観光推進機構」を設立。「九州は一つ」の理念のもと「感動がある、物語がある九州」をキャッチフレーズにテーマ型広域観光モデルルートの開発、観光地づくりに取り組んでいる。

  国土交通省九州運輸局は九州の近現代遺産101選を「九州遺産」として今春発刊。その解説で「九州には石炭に代表される豊富な地下資源もあり近代日本の礎を築く上で重要な役割を果たした。最近「近代化遺産」や「産業観光」という言葉をよく耳にする。地域を象徴する大切な風景として近現代の遺構や史跡が活用されている。本書が地域の遺産を見つめ直すきっかけとなり、多くの方に近現代遺産をめぐる旅のハンドブックとして活用していただけるならば幸い」と記述しています。

  当初は「志免立坑櫓」がその代表的史跡として本書に掲載される予定でしたが(左記新聞報道)掲載されないという残念な結果となりました。

  また太宰府には「九州国立博物館」が今秋オープン。これにあわせ福岡県では「県内まるごと博物館」と称して各自治体に史跡他の開示と協力を要請しています。

  時代は国を挙げて観光産業の推進に邁進しており、近代遺産遺跡も注目される存在となりました。

これらを踏まえ私どもは「立坑櫓の有効活用」として次の事を提言しています。

1.一昨年、立坑櫓を活かす議員の会の同士三人と中国撫順市を訪問、龍鳳立坑櫓を視察し撫順市の高官や区の議長他と会談をいたしました。前述のように構造的及び歴史的にも関係が深い龍鳳立坑櫓と志免立坑櫓を兄弟立坑櫓とし、志免町と撫順市の友好都市を締結、日中の交流をはかり国際都市のイメージを創設し関連する事業を展開。

2.「志免立坑櫓」のすぐ横(車で5分)には九州最大の大型店舗「ダイアモンドシティー」が開業しており、この人々の流を志免側に向けるため、ボタ山、立坑櫓遺跡群を石炭史跡公園として整備し、石炭資料館、道の駅を開設、旧炭鉱商店街を「黒ダイア通り」と称してレトロな街並み造りをし、商工と地域活性化をはかる。


3.博多駅・福岡空港を基点として古代史ゾーン(九州国立博物館・都府楼・太宰府天満宮・宇美八幡宮・四王寺史跡・七夕池光正寺古墳群) 近代史ゾーン(志免立坑櫓・ボタ山・第八坑口・海軍炭鉱創業記念碑等々「近代産業遺跡群としてエコミュージアム化」) 現代ゾーン(ダイアモンドシティー・久山トリアス・映画テーマパーク(予定)) を巡るルートを確立し「遺跡を巡り、古代の優雅さと近代の力強い日本史を感じながら現代ゾーンで食事とショッピングを楽しむ」をキャッチフレーズに人の流れをつくる。私どもはこれを「福岡東カルチャーロード」と称して提言しています。

4.未来を担う子供たちの豊な心と研究心を創出する場、子供たちの郷土史教育の拠点として九大の石炭資料センターを誘致し「九州総合石炭センター」を開設する。

アジアへの玄関口、140万人の大都市福岡市に隣接し福岡空港から10分のこの地に日本の近代化を担ってきた石炭産業の遺跡がこのように残存していることは先人が地域に残してくれた「宝物」です。

4月にはNHK全国放送「発見ふるさとの宝」で志免の子供達の立坑櫓に対する想いが放送されました。多くの子供たちが「立坑櫓があるけん志免やろうもん」と語るように志免の誇り宝物として立坑櫓を愛し認知しています。

昨今「日本人の誇りの欠如」について語られることが多いが、戦後、世界第2位の経済大国まで復興した原動力は、石炭産業の隆盛と、苦しさに耐え、働き続け、これを支えた人々がいたからであり、このことこそ全世界に誇れる「日本人の誇り」ではないでしょうか。しかし残念なことに、当時の苦い思い出を理由に「解体」を強行しようとする議員もいます。戦後の日本は全てが苦しい辛い時代で、それらを乗り越えて現在の日本の繁栄がある訳でこの事実をしっかり子供や後世に語り継ぐことが「日本人の誇り」を醸成することになる。その生きた証し、大事な教材が「志免立坑櫓と遺跡群」で、これを壊すことは「日本人の誇りと歴史」を抹殺することになります。


6.保存活用のための今後の活動と最近の話題


 昨年「志免立坑櫓を活かす議員の会」を発足し、今年6月には「志免立坑櫓を活かす住民の会」を設立発足しました。現在保存の署名活動と会員募集を展開しております。10月には立坑櫓周辺の草刈。ボタ山登山。また10月16日には「志免立坑櫓を活かす住民の会」主催の住民主体の「シンポジウム」と「志免鉱業所炭鉱事故犠牲者慰霊祭」とタイアップしたイベント開催を予定しております。

  さる7月31日に「住民の会」の理事20名で始めて「立坑櫓」の内部に入り屋上まで登りました。その素晴らしさに理事一同感動し反省会では展望台として活用とか夢が広がり絶対に保存することを強く誓いあいました。

 また国際産業遺産保存委員会事務局長のスチュアート・スミス氏が「志免立坑櫓」を視察され櫓を絶賛頂きました。随行された都市経済研究家の加藤康子氏は「産業遺産のつながり」を強調された。

  また先般、九州観光推進機構の大江副本部長と懇談した際、「遺産にはただ形だけの評価ではなく  物語が欲しい」とアドバイスを頂いた。

いずれにしてもまずは「保存」という基本的方針を勝ち取らなければならない訳で、全国からの支援を心からお願い申しあげます。



【主な参考文献】
・ 志免炭鉱90年史 ・志免鉱業所遺跡 ・日本産業技術史学会第21回年会講演会資料より
・ 産業考古学会シンポジウム講演資料集 ・九州遺産(近現代遺産編101)

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